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ご主人様!こんな所でお止め下さい!その1




「爺、ちょっと出掛けてくる!」

 玄関傍を見回りしていた男に向かってがそう声を掛けた。

 パリッとした燕尾服を一分の隙もなく着こなした初老の男性。

 この屋敷の執事長を務める行村久仁彦(ゆきむら くにひこ)だった。

 が生まれる前からこの家の執事である行村は、下手をしたら家族よりも一緒に居る時間が長い人間かもしれない。

 それだけには家族と同じ様な感情と家族以上の信頼をこの男に寄せていた。

「ほっほ、どちらへお出掛けですかな坊ちゃん」

 やや掠れてはいるが人の心を落ち着かせる深い味わいのある声だった。

「〜〜〜むぅ......坊ちゃんは止めろといつも言っているだろう......」

 は渋い顔をして老人を窘めるようにそう言った。

「これは失礼致しました。しかし、私は様がこんなに小さい頃から知っております故、なかなか癖が抜けませぬ。何しろ様のおしめの替えや離乳食のお世話、はたまた泥遊びのお相手まで爺がしておりましたので、あの頃はほんに可愛らしく目に入れても痛くないとはこの事でして、私は様の事を実の子のように——」

 昔を懐かしむように延々と楽しげに語り出す行村に、

「——分かった、分かった!その話はもう何度も聞いた!好きな様に呼べ!」

 は頭が痛いとばかりに額に手を当ててそれ以上の昔話を制止した。

 ああして子供の頃の話を持ち出されると如何せん、はこの老人に対して何も言えなくなるのだ。

「左様で御座いますか。では、ありがたく......それでどちらに?」

「軽く外に出るだけだ」

「お車はお出ししますか?」

「いらん。少し歩きたい気分なのでな」

「では、この爺がお供させて頂きましょう」

「それも不要だ。華凛を同行させる」

「ほぉ......華凛を......」

 行村は元々細い目を更に細め、華凛の方を眺め見た。

「しかしこの子はまだまだ未熟な部分が多々ありまして......」

「だからこそだろう。いい加減、華凛も成長せねばならん」

「......かしこまりました」

 行村はそれ以上口を挟むのは不要だと考えたのか、腰を折って深く頭を下げる。

 そしてやおら顔を上げた行村は華凛の方へ体ごと振り向くと、

華凛、しっかり”勤め”を果たしなさい。......分かっているね?」

 これまでのトボケた老人の雰囲気掻き消し、主人に向けるものとは全く異なる強い口調でそう言った。

「ハイ!分かっております!!」

 それに応えるかのように華凛もピシッと居住まいを正し、やはり硬い口調で返事をする。

 まるで警察か軍隊の訓練でも見ているような気分になったは、

「......散歩に行くだけだろう。大袈裟なんだよ......」

 二人のやり取りに呆れるようにそう呟いた。 




「しかし爺にも困ったものだ......」

 広大な敷地を徒歩で歩いてきたは、家の外にある自販機にコインを入れながらぶつくさと愚痴をこぼした。

「爺って、行村執事長の事ですよね?」

 そのすぐ後ろをトコトコ付いてきていた華凛の呟きに反応する。

「他に誰がいる?」

「ご主人様は行村執事長が苦手なんですね......私はとてもよくして貰ってます。私がミスした時なんか真っ先にかばってくれるんですよっ!」

「そうか、それはありがたい事だな。君とは歳が離れているから余計に面倒を見たくなるのかもしれんな。まぁ、苦手という訳ではないのだが俺の場合、子供の頃から世話を焼かれてる身でな。昔の話を持ち出されると頭が上がらんのだ」

 はそこまで言うと、自販機から体を離し華凛の方を振り向いた。

「先に選べ」

 ボタン全てが青白く点灯している自販機を指差して唐突にそう言った。

 華凛はその光景に目を丸くし、その意味を理解した後、慌てふためく。

「メ、メイドの私がご主人様に奢ってもらうなどっ......!!」

 顔の前で両手をバタバタしながら辞退を申し出る。

「その位、別に構わんだろう......いいからさっさと選べ」

「わっ、私が先に選んでもよいのですか!?」

「レディーファーストぐらい心得ている」

「ど、ど、どれにしよう......うぅ、何か凄く迷ってしまいます......それになんか恐れ多いというかなんと言うか......」

 華凛はそこまで言って、何か閃いたとばかりに目を輝かせの方を振り向く。 

「そうだ!ご主人様が選んでくれませんか?それだったら私も気兼ねなく飲めます!」

「ん?俺が選んでいいのか?」

「ハイ!ご主人様が選んでくれたものであれば何でも平気です!!」

「そうか」

 は一つ小さく頷いた後、おもむろに自販機のボタンを押した。

 そして、ガシャリと音を立てて出てきたジュースを華凛に手渡した。

「ありがとうございますっ!!」

 ホクホク顔で受け取った華凛の顔がラベルを見た瞬間に凍り付く。

 受け取った缶にはこう書いてあったからだ。

——至高の極み 黄金のおしるこ——

「お、おしるこは酷いです!!チョイスに悪意がありますっ!!」

「何でもいいと言っただろうが」

「うぅ、確かに言いましたが......何故自販機にこんなものがぁ......しかも黒いクセに黄金とか......」

「まぁ、お約束というやつだ。他意はない」

「......他意しかない気がしますが......では頂きます」

 華凛が受け取ったのを確認すると、も同じ様にして炭酸ジュースを購入した。

「では行こうか」

 取り出し口からジュースを引っ張り出したが先を歩き出す。

 華凛は敷地内でそうしたように、またトコトコと真の後ろを付いていった。




「あのご主人様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 前を歩く華凛は後ろから声を掛けるようにして質問を投げ掛ける。

「なんだ?」

 は購入した炭酸ジュースを飲みながら華凛の言葉を待った。

「ご主人様はその......お友達がいらっしゃらないのでしょうか?」

「——ブハッ!?」

 口に含んでいたジュースを勢いよく噴射する

「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!?!?あっ、ちょっと待って!鼻に入った!痛い痛い痛い!!」

「も、申し訳ありませんご主人様っ!!」

 華凛は慌てて持参していたハンカチを懐から取り出してに手渡す。

「痛たたたたたっ......あぁ、スマンな......——ゴシゴシ............ってこのハンカチ何か臭くない!?」

「——ハッ!?そのハンカチは先刻床を拭いた時のものでした!!」

「ぶっ飛ばすぞこの野郎!!」

「すいませんすいませんすいません!!換えなきゃ換えなきゃと思いながらうっかり忘れておりましたっ」

「——ったく、もういい!......そそっかしい所はまだまだ直りそうにないな」

 は受け取ったハンカチを華凛の方に放り投げると、ポケットから自身のハンカチを取り出し口元を拭った。

「で、友達の話だったか?君は聞きにくい事を単刀直入に聞いてくるな。そういう所は逆に感心するが......まぁ、確かに普段から一緒に遊び歩く様な友人はいないな。しかし何故そんな事を聞く?」

 さっきの失態もあり、華凛はしゅんと俯いたまま言葉を紡ぐ。

「......はい、その......先程、行村執事長が幼い頃からご主人様と一緒に遊ばれていたと仰っていたので他に友達はいらっしゃらないのかなと思いまして......それにいつも仕事ばかりされているので......」

「あぁ、それでか......」

 一使用人に交友関係を心配された事を情けなく思いながら、はほんの少し遠くを見ながら喋り出した。

「爺とよく遊んでいたのは事実だが別にいつも二人きりでって訳じゃない。小さい頃からの馴染みがいてな、ソイツと爺の三人でよく遊んでいた」

「幼馴染みってもしかして女の子ですか!?」

「あぁ、まぁそうだが......」

 幼馴染みというワードに異様に反応を示した華凛の勢いに押されながらも答える。

「何かロマンチックで素敵です♪」

 幼馴染みのどの辺りにロマンがあるのかよく分からないは首を捻りながら続ける。

「さほど仲が良かった訳じゃない。むしろよく喧嘩していた気がする。やたら気位が高くて負けず嫌いな奴でな。優位がつくような遊びは勿論、おままごとですら自分がこの役をやると言ったら聞かない奴だった。お医者さんごっこなんてどちらが医者をやるかで殴り合いだ」

「バ、バイオレンスな方ですね......でも喧嘩する程仲が良いとも言いますし......」

 本物の医者にかかる事になったがな、と言いながら華凛のフォローともいえないフォローを鼻で笑い飛ばす。

「その方とは今......?」

 恐る恐る先を促し問いただす華凛

「あぁ、しばらく会ってはいないな。元気だという話は耳に入っているが」

 昔の友人を思い返しほんの少し柔らかくなったの顔を華凛は眩しものを見るかのように眺めていた。



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