手応えらしい手応えは無かった。
勿論、肩を掴んだ感触や温もりは感じている。
もしそれが無かったとしたら俺は幽霊を相手にしている事になる。
そういう意味での手応えではなく、押した時の反発感を感じなかったのだ。
普通、赤の他人に押し倒されたら大なり小なり抵抗なりリアクションなりあっていいものではないだろうか?
いや、たとえ親兄弟でも「いきなり何すんじゃコラァ!」となるだろう。
彼女の場合、それが全くと言っていい程無かったのだ。
暖簾に腕押しどころの話ではない。
まるで......
いや、暖簾より軽いものが思い浮かばない。
例えるのであれば暖簾に腕押しでぴったりだろう。
しかしそれでもあえて別の事に例えるならば、そこに窓ガラスがあると思って寄りかかってみたら何もなくて肩透かしを食らい無様にひっくり返った感じだ。
更に例えるならジャムの蓋が開かないからと手渡されて、いざフルパワーで力を込めて開けてみたら簡単に開いちゃって力が空回りして手首をグキッと痛めてしまう感じと似ている。
それぐらい手応えがなかったものだから、俺は彼女を押し倒した勢いで前につんのめってしまった。
もし彼女が片足を俺のお腹辺りに突き出していたら絶妙な巴投げが決まっていた事だろう。
だが、別に柔道の試合をしている訳ではないので彼女は足を突き出したりはしていない。
だから俺はそのまま倒れ込む。
倒れ込むしかなかった。
あると思っていた手応えがそこになく、受け流されもしなかったのだから。
あれ?と思った時には彼女の顔面が目前に迫っていた。
これが安っぽいドラマであれば唇と唇が重なり、それはもうムフフな展開になっていたかもしれない。
だが、現実はそう甘くはないのだ。
いつだってリアルは寒々しくて馬鹿馬鹿しいものだと相場が決まっている。
詰まる所どうなったかというと、力の行き場を失ってつんのめった俺は彼女に頭突きをかましたのだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!」
もろに額と額がぶつかりゴツッと音がした。
瞬間、目から火が出る様な痛みに襲われる。
「グワァァァァァァァァァァッッッ!!」
そう、彼女の額は恐ろしく硬かったのだ。
岩盤に突貫したかのようなダメージを受けた俺は思わずおでこから血が出ていないかを確認した。
さすがにこの程度で血は出なかったが、それ程の激痛だった。
痛みがようやく収まってきた頃、不意に彼女の方を見てみると、
「.................」
なんと相も変わらず無言無表情を貫いていた。
おかしい......
これはとてもおかしい......
寝そべっていて衝撃を逃がせなかった分、彼女の方がダメージは上の筈だが。
「——あの、いきなりごめん!痛かったでしょ?」
「......全然痛くない」
俺の謝罪にやや間を空けて答える彼女。
それはもう何事もなかったかのように凛としている。
いや、よくよく見てみると、おでこは赤くなってるし、ちょっと涙目にもなっていた。
(痛かったんでしょっ!?)
そうツッコミたくなったが、彼女が醸し出す頑として痛くなどないという雰囲気に負けて俺はすごすごと口をつぐむ。
しかし、何故痛いのをわざわざ我慢しているのだろうか?
自分の頭の硬さに自信があったとでもいうのか?
確かに硬かったけども。
それとも頭突きが得意技なのだろうか?
だから弱みは見せられないと?
いや、頭突きはフレッシュレモンの十八番の筈だ。
フレッシュレモンが分からん奴は『フレッシュレモン、頭突き』でググッてくれ。
そんな事はさておき、これはさすがに頭突きをした理由を説明しなければなるまい。
いや、説明するならば頭突きをした理由ではなく押し倒した理由の方だろう。
何故、俺は彼女を押し倒したのか?
そんな事は言うまでもない、彼女のバスタオル姿に欲情したからだ。
欲情して押し倒した結果、失敗して頭突きを食らわせる形となってしまったのだ。
では何と説明するのが正しいのだろうか?
あんまりダラダラ説明しても言い訳がましくなるだけだ。
ここは男らしく簡潔に言うべきだろう。
「ごめん、欲情したので頭突きしました」
「...........?」
しまった、短くまとめ過ぎた。
言葉足らずもいいとこだ。
欲情したら頭突きをしたくなる男というのは変人を通り越して気違いレベルだ。
世界中探してもそんな素っ頓狂な事をする奴は見付かるまい。
恐らく彼女の中で俺という人間は”気が狂ったおかしな人”というジャンルにカテゴリされたに違いない。
どうやら女の子を押し倒す事に失敗して激しく動揺しているようだ。
髪をワシャワシャと掻いて慌てる俺。
しかし、そんな俺を冷静にしてくれたのは、
「..............」
無言で額を撫でてくる彼女の手だった。
しばらく擦った後、空中で何かを掴む仕草をすると、その掴んだものを遠くに飛ばしてみせる。
そして、また俺の額に手を伸ばし擦ってみては掴んで飛ばす。
実際に何かを掴んでいる訳でも飛ばしている訳でもない。
何も無い空間を掴み、それを遠くに飛ばす仕草をしているだけだ。
それはまさに、
(なにコレ......?痛いの痛いの飛んでけ的な......?)
昔、転んで怪我をした時におばあちゃんにしてもらったおまじないとおんなじだった。
彼女は何も言わず、それを何度も何度も繰り返す。
呆気に取られた俺は、ただぼんやりと彼女におまじないをされるがままとなった。
しかし、そうして彼女がおまじないを繰り返す度に不思議と痛みの方も薄れていった。
まぁ、彼女からおまじないをされた頃には痛みより混乱の方が大きかったのだが、彼女は俺が悶える姿を見てまだ痛がっていると思ったのだろう。
だから痛みを和らげるおまじないをしてくれているのだ。
俺の額を擦る手は妙にひんやりとしており、パニクッた俺を冷静にさせるには十分な冷たさだった。
(なんでこんなに手が......——あっ!?)
そうだ、彼女はバスタオルを身体に巻いただけの寒々しい格好でずっと俺を待っていたのだ。
そんな彼女に俺は......
体の芯からスーッと熱が引いていくのが分かった。
直後、襲ってくるとてつもない罪悪感。
自分の額も痛いだろうにそれを我慢して俺の心配をしてくれている。
(最悪だな、俺......)
俺はいまだに擦り続ける彼女の手を優しく掴むと、
「もう大丈夫だから......ありがとう、んでごめん......」
そう言って深々と頭を下げた。
彼女は何故謝るのか分からないといった顔になり、その後、大丈夫なら良かったと言う様にほんの少しだけ。
そう、ほんの少しだけフワリと笑ったのだ。
「—————ッ!」
その笑顔は心の垢や汚れを全て落としてくれるような不思議な力でもって俺の瞼に焼き付いた。
胸がすくような、あるいは救われるようなそんな笑顔。
あまりの神々しさにクラリと目の前が揺らいだ。
これまで何をしても、何をされても一切微動だにしなかった彼女の表情筋が動いたのだ。
南極奥深くの氷山の中に埋もれた宝石でも発見したような気持ちだ。
しかし、もう一度見ようと二度見した時にはいつものあの無表情に戻っていた。
「——笑った、よねっ!?——今笑ったよね!?」
「.............」
「ハイ、無視!!」
予想通りのリアクションではあったが、さすがに慣れてきた。
きっと彼女はこういう人間だ。
痛くても痛いと言わない。
寒くても寒いと言わない。
食べたい物があっても食べたいと言わない。
ビッグダディ並みに頑固な女の子。
しかし、何処か儚げで守りたくなるような女の子。
俺はもう一度この子の笑顔が見たいと思った。
彼女の笑顔にはそれ程の魅力と惹き付ける引力みたいなものがあったからだ。
俺は彼女の姿を眺めると、深い溜め息をつく。
その溜め息は自分の馬鹿さ加減に対するものか、彼女の奇天烈な性格に対してのものか、いまいち判別が付かなかったがいずれにしても、
「その格好じゃ風邪引くよ......」
俺はそう言ってベッドから立ち上がると、彼女に着せる為のパジャマを探し始めた。
応援よろしくお願いします。
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